<< | 2025/04 | >> |
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
朝4:50に目覚める。5:30に出発するということだった。身支度をして外にでると、一人の女性が立っていた。なんと日本の方だった。かなりびっくりしたが、正直言うととても不安だったのでありがたい存在だった。彼女は大阪学院大学(確かそうだった)の学生で、民族学を専攻していて卒論のためにやってきたそうだ。古代文化というよりも現代の先住民の生活などに興味があるそうだ。僕も同じようなもので、専攻はもっぱら古代になってしまうが、同じ民として同行することとなった。
7:00頃、途中いろいろな人たちを乗せて走っていたミニバス(コンビと同じ車種)が、レストランの前で停車。ここで朝食になるそうだ。僕らは、食事代もすべて込みで、ツアーに参加していた。しかしツアーコンダクターの人に呼び止められて、お金を払えと言う。でももう払ってあると言うと。 「ティカル?」と言うので、 僕は、「ノー、ノー。ヤシュチラン。」と答えると、 理解していただけたようで、ようやく朝食にありつけることとなった。どうもボナンパック・ヤシュチランのツアーとグアテマラのティカルに行くツアーが一緒になっているようだ。あぁ~僕もティカルまで行きたいなぁ。でもそんな予算も時間も無いので、今回はボナンパックとヤシュチランで我慢しよう。朝食を済ませ、出発すると一台のトラックが停まっていた。その荷台には数人のライフルを持った軍人が乗っている。何事かと思っていると、たいしたことではなく、このあたりはいろいろと物騒なので警備していると言う話しだった。結構旅行者が襲われるらしい。彼らは、快く話しをしてくれたし、写真も撮らせてもらった。
そこから長い一本道を行くと、一つの分岐点に差し掛かった。途中、幾つか草や木に埋もれた神殿の跡と思われるところを通っていった。まだ多くの遺跡が土に埋もれているんだなと実感した。その分岐点から二手に分かれるようだ。一つの道はヤシュチランに続いているようだ。うちらはそちらではなく、もう一方の道に入っていった。
ティカル組みがヤシュチランへの道に去っていった。うちらの道は、どうやらボナンパックに行く着くようだ。数十分して道がなくなり、ガタガタ道のジャングルの中を車は突っ走っていく。「やっぱりこうなるのね。」と思いながら半分楽しんでいた。9時半にボナンパックに到着。うっそうとしたジャングルの真っ只中に下ろされた。ピラミッド群はまだ見れない。でも入り口には、INAHの看板もありここが遺跡であることは間違いないようだ。小道を進んでいくと、見えてきた!ボナンパックの中心グループの神殿ピラミッド群だ。
ピラミッドの前のプラザ(広場)には。ジャガーの祭壇や巨大なステラ(石碑)が幾つか見られた。この神殿ピラミッド群を形成しているアクロポリスは、幾つかの神殿が重なり合っている。まず中腹にある正面右手にある神殿Ⅰは、かなり重要で、マヤ地域でも珍しく壁面装飾が色鮮やかに残されている。
この神殿Ⅰには3つの部屋があり、正面左から順に、1,2,3と番号が付けられている。その部屋すべてが壁面全体に装飾が施されていて、圧巻だ。これでも発見された当時はもっと彩色が鮮やかであったらしい。それが今ではだいぶ色あせてきているようだ。これらの装飾の中でも、ルーム2のものは、古典期マヤ文明感を大きく変えたものとして有名である。50年前までは、一般的にマヤは平和な民族で、戦争を好まず自然とともに生きていたと信じられていた。しかし、このボナンパックでの発見によって、それが一転し、世界中のどの民族と同じようにマヤでも戦争を行っていたことが明確となった。そんな貴重な資料をこの眼で見れるなんて!心は打ち震えてていた。感動ぉ~!しかも部屋の内部だけでなく、リンテルと呼ばれる入り口のまぐさ石にも浮き彫り彫刻され、なおかつ彩色もされている。
そう長くも居られないので、眼にしっかりと焼付け、ネガにも焼付け、その場を後にすることに。これだからツアーは嫌なんだよなぁ。ピラミッドの頂上まで来ると、今まであった森林が晴れてあたりを見渡すことができる。眺めは格別だ。時計を見る。おっやばい!もうすぐ集合時間だ。あわてて戻ると、すでに他のメンバーは、待っていた。
・・・また来たいな。次は、ヤシュチランへと向かう。
再び、ティカル組みと別れた分岐点にやってきた。今度はちゃんとヤシュチランの方へと向かうようだ。幾つかの地元の人の集落を通り過ぎ、フロンテラ・エチェバりアという町にたどり着いた。その町は、メキシコとグアテマラとの国境でもあるウスマシンタ河に隣接している。対岸はもうグアテマラだ。ティカルへもこの河を越えて向かう。ヤシュチランへは、ウスマシンタ河を北へ下っていけばよい。本来ここで舟をチャーターすると8000円ぐらいするのだが、ツアー料金に舟代が含まれているので心配ない。(ツアー料金は約5000円)
パスポートを提示して、舟に乗り込んだ。ここでも警備が厳しい。ボートで約1時間。着岸し、うっそうとした熱帯雨林の中を進んでいく。ホエザルの雄叫びが響き渡る森に、それはあった。暗く狭い小道を行くと、突然目の前に石積みされたモニュメントが現れた。ここか!!
それはまだ、その遺跡のほんの一角に過ぎなかった。一つの建造物を登りきると、目の前にグランドプラザが広がる。その中央広場には多くの石碑や祭壇が建ち並び、周りには球戯場や神殿が建ち、広場を囲っている。ヤシュチランの球戯場Ⅰは、特徴的でボールコートマーカーがプレイエリア内に5つ、ベンチ上に2つ存在している。それらのマーカーの表面には、レリーフが刻まれていたが、磨耗しきっていてすでに判読できなくなっている。神殿のリンテルには、マヤ文字がぎっしりと刻まれていた。ヤシュチランのリンテル芸術はとても優れおり、中でもリンテル24,25はとても素晴らしく、盾ジャガー王の妃であるカバル・ショーク王妃の放血儀礼の場面が描かれてる。しかし、それは今ではメキシコではみれない。なぜなら大英博物館へ持っていかれたからである。まぁそれだけ美術的価値が高いという証拠だろう。
中央広場から長く巨大な階段を登ると、神殿33に行き着く。この神殿は、752年に即位したトリジャガー4世によって建てられた。その神殿の前には、13枚のパネルが置かれている。所謂神聖文字階段Ⅱと呼ばれるそのパネルは、古典期マヤの球戯に関する重要な彫刻が施されている。これは、私が大学の卒業論文として発表したことであるが、話しは長くなるのでまた場所を改めて述べたいと思います。
まぁ、それらのパネルは、トリジャガー4世が自分の王権の正当性を示すために造られた。そしてそこに描かれた球戯は、球戯場で行なわれていたのではなく、神殿33の前にある階段で行われていた。っと言うことを明らかにしたわけですが。
この神殿33の下には、墓が発見されている。しかしまだそれが、誰であるのかはわかっていない。もしかしたらトリジャガー4世かもしれないが、それは定かではない。神殿の内部には、神像が安置されている。マヤ人にとって、守護神でもある神像を奪われることは、とても屈辱的なことであった。ある都市間の戦争において、各都市の守護神の神像を奪うことが目的とされていたこともある。
ん?おっとっと。なんだか旅行記じゃなくなってきてしまった。いかん、いかん。また旅の話しに戻ります。
その神殿33の裏手には、まだ道が続いており、さらに奥に進むことにした。森林は、縦横無尽に根を張り我々の道を阻んでいく。その道のりにおいて、多くの神殿があったが、ほとんどが木々によって侵食され、倒壊寸前であった。なんだか時代の流れを感じる。ヤシュチランが栄えていた古典期後期(AD600~900)の間は、こんなにもジャングルになってはいなかったはずだ。その土地に人が住まなくなって幾星霜。過去の遺産は森へと帰っていく。現代社会において、今ではそれが当たり前であるが、何らかの原因ですべてが崩壊し、人々はその土地を見捨て、忘れ去られてしまえば、古典期マヤ文明と同じ道を歩むのではなかろうか。そんなことをつい考えてしまう。そうこうするうちに、再び船着場に戻ってきた。まだ集合時間には早かったが、喉がからからで遺跡を管理している人が、水を販売していたので、それをいただくことにした。ぷはぁ~。生き返るぅ。それにしても暑すぎる。蚊もひっきりなしに襲い掛かってくるし・・・。
そうしてまたボートで1時間。エチェバリアに着き、そこで昼食となった。ここでもトルティージャだったが、中にはさむ具は豊富でとても美味しかった。中でもチュゲとよばれるものは、めちゃめちゃ辛く、火を噴きそうだったが、何度か食べているうちに、慣れてきて逆に美味しく感じられるようになった。辛いんだけど、うまい。ちょっとはまってしまったかも。そして、我々はパレンケに戻ることとなった。ひたすら長い一本道を行く。パレンケに着く頃には、日は沈みかけていた。永遠に続く緑のじゅうたんが赤く染まっていく。ちょっと幻想的な風景がそこにあった。
疲れたぁ~。宿に戻ると、すぐにベットに沈んでいった。1時間あまり眠っていたようだ。ぐぅ~。お腹がすいた。ちょっと、町を散策してみるかな。なにやら今日は騒がしい。なんとサンクリスト・サンフランシスコのお祭りだそうだ。町の中心地のソカロにも多くの人が集まっている。なんだかいろいろとお祭りにあたってるなぁ。と思いながら、僕も一緒になって楽しんでしまった。
夕飯は、昨日美味しいレストランを見つけたので、そこでまたお世話になることにした。定員さんも覚えてくれていたみたいで、とても気楽に注文することができた。なんと言ってもここのココアは美味い。各地域で一度はココアを頼んできたが、このレストランのが一番だった。ここで食事をしていると、いきなり雷鳴があたりにこだました!ゴロゴロ五郎。
ピカ☆
とするとザザーと滝のような雨が降り出した。スコールだ。こんな日にもお構いなしだな。メキシコ人もメキシコ人だ。逆に楽しんでるし。1時間もたたないうちに、雨は上がり、再びもとの活気が戻ってくる。何事も無かったように・・・
そして宿へ戻った。今日はいろいろあったな。明日は、パレンケの遺跡を見に行こう。
<フロンテラ・エチェバりアの船着き場>
<ヤシュチラン>