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2025/04/06 (Sun)
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2004/10/03 (Sun)

朝6時に目が覚めた。昨日はほとんどバスの中で疲れてしまった。今朝のソカロは昨夜と打って変わって、静けさだけが漂っていた。気持ちの良い朝だ。ホテルの前のレストランで朝食を済まし、今日が始まる。

まずは、トニナ遺跡の詳細の場所がわからないので、タクシーを捕まえていくことにした。タクシーで約30分あまり、意外と近かった。入り口には博物館も建っている。荷物を預け最初に博物館を見学することにした。僕が最初の来館者のようでまだいろいろと準備をしていたが、快く入れてくれた。それに外国人がここを訪れるのは、あまり無いようでとても珍しがられた。まぁ日本人が来ることはめったに無い。博物館には多くの石碑や祭壇などの石造彫刻品や、土器や石器などの道具類が展示してあった。それらの彫刻品のデザインは、まさしくマヤ美術そのものだった。ついに来たんだ。そんな思い出いっぱいだった。 

トニナー
ここトニナは、マヤ諸センターの中でも最も西に位置し、地形区分も古典期に栄えたマヤ中部低地ではなく、マヤ南部高地に位置付けられる。そしてこの遺跡の最も有名であることは、古典期に見られる最後の日付を持った祭壇の存在だ。古典期終末期、最盛期を迎えていた諸センターが、100年の年月をかけ次々と放棄されていき、10.3.0.0.0(AD909年)のカトゥンの終了を記念した祭壇を最後に、それ以後の日付は石碑などに見られなくなる。これを持って古典期マヤ文明は崩壊したとみなされている。以後その中心地は、マヤ北部低地及び南部高地へと移っていき、後古典期と呼ばれる時代へ入っていく。

一通り博物館を堪能し、いざ遺跡へ!・・・っと思ったが、博物館からは少し距離があるそうだ。どこへ行けばよいのか分からなかったが、博物館の職員の人が遺跡へ調査に行くところで一緒に連れて行ってもらった。その人は、メキシコで最高の学術調査機関であるINAH(国立民族学歴史学研究所)の人だった。 遺跡の入り口には、小型の模型が野ざらしに展示してある。小川を越えるとすぐに半地下式の球戯場に行き着く。マヤ地域で半地下式の球戯場は珍しい。マヤ中部低地ではほとんど見られない。しかしベンチの造り方などはウスマシンタ側流域の遺跡のものと同じである。この球戯場は、半分だけ整備されており、半分は草が生い茂っている。なんで?と思ったがそれがメキシコ流なのだろう。うん、そうしておこう。

球戯場を登りきると目の前に、でぇ~んとグランドプラザがそびえ立っていた。まさしく神殿ピラミッドは、山!ウィッツだ!その一角に内部が見れる入り口を発見。その入り口の壁には、いくつか十字型の窓が空けられている。とりあえず入ってみることに。入り口付近には照明設備があったが、奥には何も無く真っ暗だった。ライトを照らし、さらに奥に入っていく。何度か蝙蝠に襲われながら、奥へ奥へと進んでいった。内部はかなり複雑で、縦横無尽に通路が通っているが、部屋という空間の存在は確認できなかった。そのマヤの持ち送り式アーチの通路を進んでいくと、上へと登る階段を見つけた。その階段を上がり、外にでるとすでに自分はピラミッドの中腹にいることがわかった。そんなにあがったという記憶が無いのだが、通路自体が徐々に上昇していたらしい。そして、目線をピラミッドのほうへを移すと、ででぇ~んと、ピラミッドの壁にモザイク状の装飾が、目に飛び込んできた!すごい!「これがトニナか」と思えるほど印象的だった。

今度はピラミッドの外壁を登っていく。急角度の階段を上り詰めた先には、多くの神殿群が建ち並んでいた。神殿の脇には、ベンチを伴った方形に区画された場所がいくつかある。それは、部屋としての機能があったのだろう。ところどころに赤く彩色された漆喰が残っていたが、多くは剥がれ落ち、中の石積みが露出している。その昔は、ピラミッド全体が白い漆喰に覆われ、色鮮やかな装飾が施されていたのだろう。そう考えると、とても時代の流れを感じる。そんな中、一つの漆喰装飾の最高傑作が、このトニナにある。

夢の世界のレリーフ
それは、「夢の世界」と呼ばれる漆喰壁画で、現実世界ではない冥界において、足に亀の甲羅をつけた骸骨が、フン・アハウの首を持っている場面が描かれている。(この図像表現はテオティワカンの壁画にも見られる。)ここに描かれた場面は、まるでポポル・ブフの中で、双子の英雄が地下世界シバルバーの神々からの試練を受けている場面を描いているようだ。 ピラミッドの頂上にやってきた。ここからは遺跡全体だけでなく盆地全体が見渡せる。当時の王(アハウ)たちは、いつもこんな景色を見ていたのだろうか。今とは周りの環境は違うだろうが、そんなことを思いながら僕も遠くを眺めていた。

再び地上に舞い降りると数十人の団体客が訪れていた。軽く会釈をしてその場を後にする。博物館前にコンビ(乗合バス)が来るということだったので、博物館の人たちと話をしながらそれを待った。数十分して、コンビに乗り込み、またオコシンゴの町に戻ってきた。次はパレンケと思ったが、ここからはパレンケまでの長距離バスは出ていないみたいだった。どうしようか迷っていると、タクシーの運転手がパレンケまで行く人を募っている。ちょっと割高になるが、それを利用することにした。100ペソといわれたが、パレンケに着いたとき僕ともう一人乗っていたので、二人でそれを割ることができた。

パレンケに着いたとき、そこはかなり蒸し暑かった。いつのまにか、熱帯地方に着いていたようだ。「うわぁ。こんなにも違うのか。」 日本の夏よりもひどいかもしれない。まぁとりあえず宿を探すことに。あまり当てが無かったので、地球の歩き方にのっていたポサダ・キンというところにした。それなりに良かったが、お湯がでず、シャワーは寒かった。そのホテルから明日、ボナンパックとヤシュチランに行くツアーがあるというので、それに参加することにした。明日は早い。少し町をぶらついて、夕食を食べたあと、すぐに眠ってしまった。

球戯場建造物壁面装飾漆喰ベンチ頂上からの眺望手形

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