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朝7時。今日はモンテ・アルバンに行くことにした。本来ならミトラに行ってから、最後にモンテ・アルバンに行くことにしていたが、一緒にオアハカまでついてきてくれたYさんが、明日メキシコ北部の方へ向かうということで、モンテ・アルバンは見ておいたほうが良いという僕の提案で、そうする事にしたのであった。
モンテ・アルバンには、ホテルが運営しているシャトルバスが随時出ている。僕らは8:00発のバスに乗り、そのバスは山間のかなり狭い道を登っていった。何の舗装もされていないでこぼこの道で、車体は左右に上下に激しく揺れる。すぐ隣は断崖絶壁。あぁ~ぁ~。横転したらお終いだな。
そんな道をどんどん登っていく。景色はかなりいい。途中地元の人の村が幾つかあった。こんなところにも人が住んでいるんだ。もしかしたら、モンテ・アルバンを築いたサポテカ人かミシュテカ人かもしれない。そんなことに思いをはせていると・・・、見えてきた!あれがモンテ・アルバンだ。モンテ・アルバンという遺跡を形成している建造物の一部が見えてきた。
入園料は35ペソ(約500円)。遺跡に隣接して博物館も建てられている。正面を入ってすぐに、石造建築物が視界を覆い尽くした。うわぁ。でかっ。さすが城郭都市と呼ばれるだけのことはある。まるで日本の山城のようだった。それが僕ははじめてモンテ・アルバンをこの眼で見た感想だった。
ここでの目的は、半地下式の球戯場を見ることだった。多くの写真でよく見るモンテ・アルバンの球戯場。やはり写真で見るのとは、まったくちがう。思っていた以上に大きく、そして球戯場に幾つかの特徴があることがわかった。これは、典型的なIの字型球戯場であり、境界建築に何かを置くための窓?(窪み)が造られている。ここで一体どんな球戯が行なわれていたのだろう。一般的にメソアメリカにおいて、球戯とはゴムで作った直系20cm程度のボールを腰で打ちあう競技である。地域や時代によってその形状は幾つかあったのではないかと考えられている。現在では、ウラマやポク・タ・ポクと呼ばれる球技が行われているが、サポテカ人も同じ球戯を行なっていたのだろうか。・・・まぁ球戯については、場所を改めて説明したいと思います。
ここでの目的は、まだある。それは文字の存在と踊る人と呼ばれるレリーフを確認することであった。メソアメリカにおいて文字は、オルメカ時代にすでに発明されていたようで、それが各地に伝えられていったようである。オアハカでもかなり早い時期に文字が使われている。それらはサポテカ文字と呼ばれ、マヤ文字とは少し異なる。暦も長期歴ではなく260日暦と360日暦をあわせたカレンダーラウンドを使っている。 そのような文字が、幾つかの石碑に見られる。
遺跡内を巡っていて思ったことに、ほんとに空がきれいだなと。こんなにも蒼く澄んだ空を見たのははじめてだ。日本にいたら決して見ることはない。(北海道ならもしかして・・・)いろいろと神殿群を見て回っていた。まぁ多くは一般者立ち入り禁止になっていたけど。
球戯場→北の神殿群→中央広場と歩を進め、踊る人の神殿へとやってきた。この中には、通称「踊る人」と呼ばれる裸の人物が描かれたレリーフが施されている。「踊る人」のレリーフは、モンテ・アルバンの遺跡中に320個以上見つかっている。名前の由来は、昔の研究者がその図像表現から「踊る人」と勝手に名付けただけで、そこに描かれたものの本来の意味を表しているのではない。かといって、本来意味していたことは未だわかっていないのも事実である。一説によると戦争で捕らえてきた捕虜ではないかと言われる。
ここ南プラットフォームでは、幾つかの建造物群に囲まれて中央に天文台と考えられている建築物J と建築物G、H、Iという複合建築物がある。そして、一番最南端に位置する神殿Mからの眺めは絶景だった。ここからオアハカ盆地が一望できた。
一通りモンテ・アルバンを堪能し、次に博物館に向かった。 途中には幾つかのお墓もある。ここの墓の形状は、四角く区切られた場所の中央に地下室があり、そこに遺体を安置させる場所を設けてある。中には極彩色な壁画が描かれた玄室もある。
遺跡内にある石碑のほとんどはレプリカで、博物館にはそれらの本物が展示してある。地元の小学生だと思われる集団もいて、ちょっと騒がしかったけど、よしとしよう。
博物館を出ると、もう一つ離れたところに遺跡はある。特徴的にここにも球戯場が造られている。なぜ山頂の狭い地区に二つも球戯場が必要なのか。こちらの球戯場はサブコートとして使われていたのかもしれない。あとは、墓が二基建設されている。 そして、帰りのバスに乗り、再び細い道を揺られてオアハカの街へ。
ちょうどお昼だったのでメルカド(市場)へ行き、そこで済ませることにした。オアハカには幾つかのメルカドが存在しているが、その中でも一番大きいメルカドだった。肉や野菜・果物がそころせましと置かれ、民芸品も多く売っていた。地元の人だけでなく観光客にも人気があるようだった。
そのメルカドで買い物も済ませ、時間も余ってしまったので、絵を描くことにした。題材は・・・オアハカ歴史文化博物館の教会にしよう。ということでYさんとは別れて別々に行動することになった。
日陰の涼しい場所を見つけると、そこに腰をおろし早速始めることにした。絵を描き始めると、小さい子が二人見にきた。服装から地元のこのようだ。手には民芸品を持っている。あぁこんな子も働いているんだ。どうやら二人は姉妹のようである。(その子らが教えてくれた。)色鉛筆に興味を持ったのか、いろいろいじっていたずらをしている。まぁ子供だからしょうがないか。子供はそれぐらいがちょうどいい。だから笑っていた。 そして1時間あまりして描き上げ、その作品は彼女らに渡した。大切にしてくれそうだったから。
そして宿に戻ることにした。夕方は例の如く土砂降りの雨が降る。明日は、オアハカ最後の日。ミトラとヤグールをみてそのままオコシンゴへ向かおう。Yさんともここでお別れ。また一人旅。