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朝6時ごろ起きる。なんだかお腹が痛い。そう言えばテオティワカンに行ってから、どうも調子が悪かった。精神的ショックが大きかったからか?疲労がたまっているのだろうか?どうもそうではないらしい。食中毒みたいだった。たぶん「ウサギ」だな。たしか注文するときに半生を頼んだような・・・。そんなわけで、体力を相当消耗することになった。
7時ごろユースを出発。まだ朝日は登っていなかった。ミトラまでは第二バスターミナルからバスが出ている。
ターミナルに着くと、いろいろなバスがここから出ているみたいで、どれに乗っていよいものか、どこで切符を買ってよいものかと迷っていると、親切な人(多分バス会社の人)が「どこに行くんだい?」と聞いてきたので、「Quielo ir mitla.(ミトラに行きたい)」と答えると分かってくれたみたいで、すぐにバスを教えてくれた。「切符は?」とたずねるといらないということで、直接運転手に払うみたいだった。いざ!ミトラへ!!
数分乗っていると運賃の徴収が始まった。なんだ。走っているときに払うんだ。10ペソ(150円)。意外と安かった。1時間ほどして、ミトラに到着。町の中心から遺跡までは1,2Kmある。まだ朝早いせいか道には誰もいない。静かな朝の気配に浸りながら、遺跡までの道を歩いていく。途中にも古代の遺跡が点々としていた。遺跡に着くとまだ開園しておらず、スタッフの人がまだ準備をしていた。でも遺跡を見学したいと言うと快くチケットを販売してくれた。まだ開園まで時間もあるので、遺跡公園の範囲に入っていないところを見てまわることにした。そこには、Post Colonial時代の教会が遺跡の中に建てられている。1520年にアステカ帝国を滅ぼしたスペイン人は、征服地を拡大するために様々な土地に教会を建てていった。彼からは、地元で進行していた宗教を邪教とみなし、それらをすべて排除していった。その行為の一つとして、古代の遺跡や建造物を壊し、そこに教会を建てていったのである。
このミトラは、幾何学的な装飾で有名で、ガラガラヘビの模様を真似たのではないかといわれる。ヘビは、メソアメリカにおいてかなり重要な存在である。特に地下世界、死後の世界といったものとの関係が強い。ここミトラでも神殿の下には多くの墓が発見されている。そんなミトラの幾何学装飾は、一種類ではなく幾つかあるようだ。そうやって眺めていると、一人の私と同じようにバックパックを担いだ人がやってきた。彼はアメリカから一人で歩いて旅をしているそうだ。すごいな。今度は僕も歩き旅か。
そうこうすると遺跡公園へ入ることができるようになった。ここは、ミトラ遺跡でも中心地になるところで、神殿群が建ち並んでいる。壁面には赤く朱がまだ残っている。一部修復途中で作業員が一生懸命復元していた。それらの神殿の下には、墓室が造られおり、その幾つかは見学できるようになっている。中は真っ暗であったが、それは古墳探訪の賜物で懐中電灯は常備している。幾つかあった墓室の中でも、一つだけ特徴的だったのは、日本の古墳でも見られる枕石が作られていたものである。
そうして、ミトラを後にして今度は近くにあるヤグール遺跡に向かうことにした。ヤグールは、ミトラから4,5km離れたところにある。
ミトラからヤグールまでは、タクシーを使って向かうことに。というよりもタクシーの兄さんに捕まってしまい、乗せていってもらうことにしたのだった。途中検問があって、軍の人が「ポサポルテ」と何度も言うが何のことか分からず、四苦八苦していると、そのタクシーの兄さんが「パスポート」だと教えてくれた。そう言えば外国人はパスポートを見せなければならないんだったな。・・・問題なし。
検問を通り過ぎ、ようやくヤグールへ。直接ヤグールではなく、他にもお客さんが乗っていたので、主要道の道沿いに降ろされた。そこからは長い一本道。遺跡に着くとまずは荷物を降ろしたかったから、管理人さんに預かってもらうことにした。ふぅ~。重たかったぁ。体が軽くなったところで、遺跡の背面にある小高い丘に登っていった。その丘にも埋葬施設があった。地面の下に墓室を造るのは、ミトラなどで見られたものと酷似していた。装飾の仕方も似ている。見終わって立ち上がったとき、天井が低いことを忘れていて、おもいっきし頭をぶつけてしまった。
いってぇ~~~!!!
☆★☆(*0;)
しかもそれを他の観光客にも見られてしまった。恥ずかしかった。そそくさとその場を後にして、頂上へ。うぅ~まだひりひりするぅ。でもそこからの景色は、絶景だった。さっきまでの痛みもふっとんでしまった。そこからは、ヤグールを一望できる。あぁ僕もここまで来たんだ。なんだか自分が今、日本ではなくメキシコにいるんだと実感する。
遺跡は石造りの建築群が建ち並び、四方形に区画された場所の中央には、埋葬施設がある。それはモンテ・アルバンみたような感じだったが、中に施された装飾で、ミトラの幾何学装飾がされているものもあった。モンテ・アルバンは古典期後期までの遺跡であり、ミトラは後古典期からの遺跡である。そうするとヤグールの位置付けはどうなるのだろうか。ぬぬぬぅ~疑問だ。ここでの目玉はなんと言っても、大球戯場。メソアメリカにおいてヤグールの球戯場は最大級である。まぁ一番大きいのはチチェン・イツァの大球戯場ですが。あれは、ずば抜けて巨大である。それはさておいて、ヤグールの球戯場は、半地下式でベンチや斜面の作り方はモンテ・アルバンそっくりだが、中央には球戯場マーカーが置かれている。それは、どちらかというとマヤ的な球戯場だ。モンテ・アルバンにはマーカーは見られなかった。もしかすると元々あったが、何らかの理由で紛失したのかもしれないが、それは定かではない。それにもう一つヤグールにあった石造彫刻品にマヤ的なものがあった。こう見てくるとオアハカ地方とマヤ地方で結構文化的交流があったのでないかと思えてくる。そこで出てくるのがテオティワカンの存在である。オアハカとテオティワカン、マヤとテオティワカンとでは、良くその文化的交流は示唆されているが、マヤとオアハカの間ではあまり聞かれない。そこら辺についてはもう少し詳しく調べてみる必要があるようだ。
一通りヤグールを見終わり、再び長い一本道を戻ることにした。バスは主要道で待っていれば来てくれるということだった。
来た来た。それに乗り込んでまたオアハカに戻っていった。時間もまだあるし、街中をぶらつくことに。今日は20:00のサンクリストバル・ラス・カサス行きのバスに乗る。バスの中で一夜を明かすことになりそうだ。そうするとだいぶ本来の目的地であるマヤ地方に近づてゆく。もうすぐだ! ひた走る一等バスに揺られながら、眠りに落ちていった。
ZZZz…