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2025/04/07 (Mon)
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2004/09/28 (Tue)

夜何度か起きて、今朝は寝不足である。この日は、同じ宿の日本人計4人とテオティワカンに行くことになった。昨日のYさんも一緒で、後の二人は女性の方たちで、・・・名前は知らない。女性の一人は、かなりの旅行熟練者で、スペイン語も理解できる人であったので、かなり安心してテオティワカンに向かうことができた。メキシコ.D.Cからバスで約1時間。 

11時ごろバスは、遺跡公園前に着いた。それまでの道は、周りがほとんどトウモロコシ畑で、やっぱりメキシコの主食はこれなんだなと実感した。バスを降りてチケットを買い、歩を少し進めると木と木の間から、強大なピラミッドが見えてきた。

テオティワカン

太陽のピラミッド(Pyramid of the Sun)だ!

そしてタルー・タブレロ様式のいかすインフォメーションを過ぎるとすぐに死者の大通りに出る。ここからはみんなと別れ、単独行動。みんなはすぐにピラミッドの方に行たいそうだ。私は、シウダデーラ(城壁)とケツアルコアトル(羽毛の生えたヘビ)のピラミッドに行かなくてはならなかった。なぜならそれも見てテオティワカンである。それにしても死者の大通りからの景色は絶景だなぁ。じ~ん(涙)。ついに来てしまった。そんな思いだった。

ケツアルコアトルのピラミッドは、目の前だ。このピラミッドは、AD200年ごろ(ミオカトリ期~トラミミロルパ初期)に建てられ、これは月のピラミッド(Pyramid of the Moon)の築造段階プラットフォームⅤ期と同年代であると考えられている(杉山三郎 2000)。ケツアルコアトルのピラミッドには、鬣のついたヘビ(私としては、龍としたい)と、モザイク状の顔を持つヘビ(雨神トラロックか?)の彫像が交互に表されている。このピラミッドの周辺と内部から25基の墓が見つかり、合計137体の人骨が発見された。これらは、神官‐戦士集団の献納墓(dedication burial)であるとされる(杉山三郎 2000)。

ケツァルコアトルのピラミッドから再び死者の大通りへ戻り、太陽のピラミッドを目指す。死者の大通りは、月のピラミッドへ行くに従い、徐々に標高が増していく。歩くこと1時間あまりようやく太陽のピラミッドの麓までたどり着いた。

でか!下から25mmの広角レンズで撮影しようとしたが、収まりきらない。このピラミッドは、高さ約60m。テオティワカンで一番高い建造物である。頂上までは正面の階段を登っていく。元気のいい子供たちは、初めは勢いよく駆け上っていくが、頂上付近では息を切らしてやっとの思いでたどり着いていた。それもそのはず、ピラミッドの底面ですでに、標高2000mを越えているのだから。それにしても頂上から眺める景色は最高だ!ピラミッドの背面には、洞窟の入り口がぽこぽこ開いている。この太陽のピラミッドの下にも地下洞窟広がっている。洞窟は、この地の人々にとって地下世界への入り口であり、人々が生まれ出た初現の地でもある。彼らにとって洞窟は、とても神聖な存在であった。 それからピラミッドから降りて次に、ケツァルパパロトルの神殿に向かった。

ケツァルパパロトルは、鳥と蝶々が融合した想像上の生き物である。この神殿の柱に横向きと正面を向いたケツァルパパロトルが描かれている。回りの壁には、彩色が施されていたようだが、今ではその一部を見るだけである。

次に向かったのは、月のピラミッド。そこで一緒にテオティワカンに訪れた人たちと合流。彼らは、すでに月のピラミッドに行っていたようだったので、僕だけ駆け足で見に行った。頂上は、今発掘中であり一般観光客は立ち入りが禁止されていた。あ~ぁ上まで登りたかったのに。(後日、日本に帰ってみると月のピラミッドから貴族の墓と思われる墓室が9月に発見されたというニュースを聞いた。なんと僕が訪れていた頃ではありませんか!愛知県立大学の杉山先生が主導で行なっていたそうな。またもや僕はチャンスを逃してしまった。なぁしょうがないか。いつか同じ舞台に立つのだ!!) 

その後、再び合流して、飯を食いに行くことになった。近く洞窟レストランで食事。せっかくここまで来たんだから豪華に行こう!ということで、かなりの量を頼んでしまった。その後の旅での腹痛の原因となったかもしれない。特にウサギの肉はやばかった。(半なまだった。)はちきれそうな腹を抱えながら、次に付属博物館に行く。

そこには、テオティワカンの縮尺模型が作られており、その背景には、実物の太陽のピラミッドがガラス越しに見えて、印象的だった。他には、ケツァルコアトルのピラミッドに埋葬されていた人骨が数体、その他多くのものが展示されている。資料館を出ると真っ黒な雲が空一面を覆っていた。そしてスコールが降り始めた。・・・入り口で雨宿りすること数十分。雨は上がり僕たちは、すぐに出発した。

次に向かったのは、Tepantitla(テパンティトラ)。テオティワカンを訪れた目的の一つでもあった。ピラミッド群からすぐ近くにあり、その遺跡の建造物に描かれた壁画に、球戯を行なっている場面がある。それをこの眼で確かめたかったのだ。

少し道に迷ってみんなに迷惑をかけたが、何とかたどり着いた。そこは、隣のピラミッド群とは見劣りはするものの、多くの建造物跡が建ち並ぶ立派な遺跡だった。赤や白で彩られた極彩色の壁画が、今でも残っている。球戯の場面の壁画は、一人の作業員が、クリアフィルムでトレースをしていた。そのため、ヒップ球戯の場面は見つけることができたが、スティック球戯の場面は見つけることができなかった。ちょいと口惜しかったがまぁ良しとしよう。

そして、メキシコシティに戻るため足早にバス停に向かった。最終は、午後6時。あと数分もない。間に合うか心配だったけど、出発寸前のバスに飛び乗り、無事シティに戻ることができた。

そして、昨日と同じ宿に泊まり、明日に備えてゆっくり休むことにした。 ・・・おやすみなさい。

ケツァルコアトルの神殿トラロックとケツァルコアトル太陽のピラミッド月のピラミッドケツァルパパロトルの神殿ケツアルパパロトルテオティワカン 

 

テオティワカン 月のピラミッドから

テパンティトラ トラロック神殿壁画壁画アップ

 

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