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2025/04/07 (Mon)
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2004/02/14 (Sat)
朝、5:00。うっすらと船内に明かりが差し込んできた。もうそろそろ、降りる準備をしなくては。外に出ると、神戸と大阪の明かりがまだ煌々と灯っていた。そして、対岸が見えると、「また旅が始まる」と期待に胸を膨らませながらも、一瞥の不安も感じていた。なぜなら、最近運動もろくにしておらず、この起伏の激しい紀伊半島の沿岸を走破できるのか、それが心配だった。でも、そのとき思った。私が、いつも何か事を成す時、どう考えてきたのかを。「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ!」そうやって、いつも一歩を踏み出してきた。たぶんこれからも・・・

まもなくして、フェリーは接岸。うちらも駐車場の方へ降りていった。しかし!そこは、地獄だった。トラックなどのアイドリイング中の車から吐き出される排気ガスが、その空間を支配していた。生身の人間にとって、苦痛極まりなかった。でも、そこで誘導している乗組員の方々はよくこんな仕事を毎日やっていられるなぁと、感心した。ゲートが開くと、私たちはすぐに出してもらえた。ふぅ~、生き返るー。久しぶりに空気がうまい。そう感じた。まぁこの前行った九重に比べると比ではないが。朝焼けの空の下。大きく深呼吸。うん!いい天気だ。そして、ペダルをこぎ始めた。

南港からだと堺市に近いので、我々は、日本最大の古墳『大仙古墳(仁徳陵)』に寄る事にした。8時頃到着。でかい!とにかくでかい。堀が三重[建造当時:二重(一部三重)]も巡らされていることもあって墳丘自体は見られず。ちょっと残念。近くに高い塔か建物があればいいのに。そのあと、資料館によって、このあたり(百舌鳥古墳群)の概要を確認。そして、百舌鳥古墳群の一部を廻りながら南下。今日は、とりあえず和歌山まで。その途中、池上曽根遺跡なるものを発見。かなり整備もされていて、資料館も完備されているようだったので、寄ってみることにした。そしたら、そこでボランティアをしていた方が、うち等が九州から遥々やってきたことを知ると、通常は開けてもらえない最も主要な高床式住居?(復元)の中に入れさせてくれた。それは、そこから出土した土器に描かれていたものから忠実に再現して建てられた物であった。その見学が終わると、近くの博物館の招待券をくれた。そっちに行ってみると、もううち等が来ることが分っていたみたいで、すぐに通してもらえた。しかも、クリアファイルまでいただいてしまった。ん~、至れり尽せりって感じかな。そうして、有意義な時間も過ぎていき、1:00に再び出発。お昼は、その2時間後になってしまった。かなり腹が減って死にそうだ。その後は、別段寄るところも無く、一路和歌山へ。4:30頃和歌山に入る。そして、今日最後の古墳めぐりであった鳴滝古墳を探すが、見つからず。そうこうしている内に、日も暮れてしまってテントの設営場所を探すが、それもなかなか見つからず。8:00頃川辺の公園にやっと設営。周りに何も無い。さびしい~。今回初めて、コンロを使用し、あったかい珈琲を沸かして飲んだ。やっぱりあったかいのがいいね。そして、初日は終わりを告げた。

走行距離:95.97km 走行時間:5時間58分

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