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2025/04/07 (Mon)
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2004/02/15 (Sun)
朝7時、朝霜が降りている中、目覚めた。まだ、外はかなり寒い。でも、起きて出発の準備をしなければ、いつまで経っても始まらない。一時、テントを乾かして、9時にその場をあとにした。まず始めに、紀伊風土記の丘を目指した。ここは、紀州の中でもかなり集団で密集した古墳群が形成されているところだ。いくつかの丘陵地に、幾つもの古墳が点在している。もっぱら円墳が多いのだが、頂上付近には幾つかの前方後円墳が見られる。ここをすべて見ようとすると、かなりの時間がかかる。到底ハイキングにでも来たような気持ちでないと、見て廻れないだろう。でも、年配の方々が結構ハイキングがてらに、ここを訪れているようで、頂上付近でも良く見かけた。それから、ここの石室の形は奈良とかとは違い、割石積みで中に石棚や梁が施されていた。スカイトレッカー殿曰く、これは、この地方独特の造り方らしく、中央(古墳時代の中心地であった奈良地方を指す)よりも九州とか四国の方の特徴に似ているらしい。特に、石棚は九州に見られる石屋型の文化が紀伊半島まで伝播されて来る過程で、変化したのではないかということだ。そうして、各古墳を見ていたら、あっという間に半日が過ぎてしまい、その近くで、お昼にした。

次に向かったのは、寺山古墳群。そこには、本州では珍しい装飾(ここでは墨によるもの)があるそうだ。紀伊風土記の丘にある資料館で学芸員の方に場所は教えてもらっていたけど、探すのにちょいと手間がかかってしまった。そこについてみると、そこでもやはり円墳が密集して存在していた。崩壊も激しく、石室内に入るのは容易ではなかった。それに墨装飾のある古墳は、いまいち分らなかった。そして、3時頃いいかげん切り上げて、南に向かうことにした。有田というところに温泉があるらしいので、今日のところはそこまで行くことに。

しかし、日も沈んでそこに着いても、温泉らしきものは見当たらず。路頭に迷っていたところ、腹も減ったので、居酒屋みたいな食堂に入った。(そこしか食べ物屋さんが無い。コンビニすら無い。)そこで、食事をしながらお店の人に近くにテントが張れるような所を聞いていたら、隣で飲んでいた方(Nさん)が、「家のガレージでよかったら、そこに泊まらせてあげるよ。」というので、お言葉に甘えて、そうさせてもらうことにした。風が来ないだけでも、ぜんぜん違うと思い、今日は、少しは楽に寝れそうだなと安心していたところ、そこは、思っていたのとはまったく違い、ガレージではなく、まったく一つの個室だった。いつもは、Nさんが仕事のために使っている部屋らしく、いろいろな設備が備えてあった。本当に使わせてもらっていいものかと思ったけれども、背に腹は着せられぬということで、Nさんには、本当に感謝して使わさせていただいた。しかも、お酒までおごってもらって、本当に感謝のしようが無かった。ちょっと遠かったけど、温泉もつかり、一日の疲れが一気にぶっ飛んでいったような気がした。こうして、2日目も終わる。

走行距離:77.36km 走行距離:4時間28分
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